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マンスリーゾディアックとは 日本語で言えば「毎月の12星座」です。

太陽の通り道「黄道」 そこには12個の星座が配置させていおり、毎月30度ずつ進んでおります。それを「黄道12宮」と言います。

そこの場所を太陽が通過するとき、「○○座」という表現になります。 (私の誕生日は○○座) マンスリーゾディアックでは毎月の太陽星座を見つつ、その星座に隠れている「教科書には書かれていない星座の事」をピックアップしてまいります。 どうぞお楽しみに☆

 

第7回【天秤座について】

NOT FOR SALE Sugar

■天秤座は“あなた”を産み、まなざしを育てる

一般的に、天秤座はどの教科書でも「調和とバランス」を大切にする「愛想のいい社交家」などと書かれていますが、一方でその悪名高き優柔不断さでも知られ、実際つねに態度が曖昧で何を考えてるのか分からないとか、どこか八方美人で薄っぺらい感じがする、といった言われ方もされがちです。ただ、ではそれをして天秤座がただお気楽で主体性も主張も何もない日和見主義者なのかと言えば、それこそ大きな間違いというもの。むしろ、天秤座ははなはだ意図的かつ戦略的に「生き延びること」を意識している、12星座一したたかな星座でもあるんです。どこか話しかけやすく人好きのする印象とその裏にあるシャープな意識とのギャップのはざまで、天秤座はいったい何を感じ、どのような心理が働いているのか。そのあたりを取っ掛かりにしつつ、以下掘り下げていきたいと思います。

牡羊座から数えて7番目の星座である天秤座は、集合性をテーマとする後半6星座の最初を飾る星座であり、それはこれまでの個人性をテーマとする6星座とはまったく異なる視点を持ち込む12星座の折り返し地点でもあります。つまり天秤座にいたって初めて、円環の中で自らと正反対に位置する「対向の星座」を意識することができるようになった訳ですが、そういう意味で、天秤座というのは初めて「“他者を見つける」星座なんです。

そして、他者を見つけるということは「わたしが消える」ということでもあります。それがどういう“感じ”なのか、なんとなく分かるでしょうか?これは例えば、自分が妊婦となって、お腹もだいぶ大きくなってきた状況を想定し、次のような展開をイメージしてみるといいかも知れません。あるとき、あなたがふとしたことで落ち込み、部屋で休んでいると、なんとお腹の中の「それ」が初めて内側から蹴ってきたとします。「もしかして、励ましてくれているのかも?」あなたはそんな風に感じ、それから折りにふれ自らの胸のうちをお腹の中にいる「それ」を相手に語りかけるようになっていく。そしてあるとき、友達との何気ない会話の中で、「わたしさぁ…」と言いかけたその際、ピタリと言葉に詰まってしまう。

それまで、一人称の「わたし」は何の疑いもなく「自分ひとり」を指してきました。けれど、自分の中にもう一人のいのちが宿って「二人分」になった今、そんな「わたし」を一人称の「わたし」で呼ぶことの違和感に気付いて躓いてしまうんです。その瞬間、これまで(前半6星座)ならいついかなる時も、いくら自問を繰り返しても十分に機能していたはずの「わたし」という言葉、自らの存在に対する絶対の自称が通用しなくなってしまう。そうして、自分という存在の総体が、これまで一貫して共通してきた一人称からこぼれ落ちてしまったような、「わたし」が消失する感覚として立ち現れてくる。いわば慣れ親しんだ立ち返るべき足場、わたしという宇宙が突然崩れてしまう訳ですから、さぞ心もとなく、ゾッとするようなおそろしい体験でしょう。

そしてそんな不安の最中で改めて、お腹の中の「それ」が「あなた」や「きみ」となって、かつての「わたし」というくっきりとした個の輪郭をかき消しつつ、もはや「わたし」よりも確からしいリアルとして目の前に存在し、「わたし」はそこにまなざしを注がざるを得なくなる。それは自らの衝動へと没頭し、そこへ思い切りはまり込んでいくことこそが、生きるための唯一の形式だとつゆ疑わなかった状態から(風の星座らしく)スッと浮きあがり、足が宙を泳ぐ危うさを抱えつつ、これまで自明だった世界がひとつの未知となって映る様をその目に納めんとするに至る視界の反転であり、いわば本能的な生から遠ざかりそこから醒めようとする「眠りからの目覚め」の体験とも言えます。

そんなふうに、「他者を見つける」ということは、初めて自らを一人称では語れなくなってしまうという根源的な不安を抱えた上で、目の前に広がる現実を二人称で表す他者として、新鮮な眼差しで客観的に捉えなおしていこうとするプロセスでもありました。これは当事者にとって、単に自称を「わたし」から「わたしたち」へ変更すればそれでいいといった簡単な話では済まされません。というのも、上記のプロセスはもはや「わたし」が一つの“実体としてではなく、自分ではない何かとの“関係性の中でしかあり得ないことへの気付きを促すから。だからこそ、天秤座はいくら自らに(実体がないかのように)薄っぺらに見えようとも、自分自身ではないもの=他者にこそ鋭く目をこらし、まなざしを育て、それらとのつながりを確かなものにしていくことで、自らの生を成り立たせようとするんですね。

従って天秤座においては、前半星座のように「わたし」がいかに力強く迷いなく振る舞えるかより、世界を「わたしとあなた」で等分にできるような「あなた」をいかに見出し、関係を結んでいけるかが大切になってきます(天秤座が天性のプロデューサーでありインキュベーターなのもその表れでしょう)。ただ、その際留意しておきたいのは、上記で取り上げたような子と親の関係には、上下関係のような序列はないのだということ。そして、子と言ってもあくまで比喩であり、別にひとりかふたりに限定されるようなものでもないということです。では、そんな他者と「わたし」との関係性においては一体どのようなことがありえるのか?もう少し詳しく見ていきましょう。

 

“あなた”のかけがえのなさを隠蔽するもの

先の妊婦の事例では、二種類の他者が登場しました。まず当初お腹に宿った「それ」は肉体の内側から意識を刺激する程度のものとしてあり、その時点では個として自己完結した「わたし」を崩してしまうほどの力はありませんでした。しかし、いつの間にか「それ」は「あなた」へと変貌し、それに応じて「わたし」の在り様そのものもガラリと変わってしまった。そして、この他者との関係における変化こそが天秤座を天秤座たらしめているものでした。

この「それ」から「あなた」へという他者の相貌の変化は、ひとえに「わたし」との関係における「かけがえのなさ」に相関しています。レヴィナスという人は「他者」を「自分のために生きている人が<生きる意味(生きがい)>を見出せる別の人である」と定義しましたが、これなどはかけがえのない他者としての「あなた」の在り様をうまく表してくれています。「あなた」について語られればすでに「わたし」は語られ、「わたし」を説明するには「あなた」について話せば事足りる。かけがえのない関係というのは、そんなふうに両者を切り離して語ることのできない相互浸透的なものであり、どこかで必ず自分こそが相手に応答できる唯一の存在であるという直感を抱かせてくれるんですね。

逆に、「わたし―それ」という関係性では(「それ」は“彼”“彼女”でもかまいません)、「必要で役に立つから」「有望だから」などといった機能的な理由に基づいて両者は結ばれており、そのため他者は時間の経過ととも移り変わったり、お金などで価値換算可能だったりと、あくまで代わりがきく存在でした。というのも、「わたし―それ」では何よりも「わたし」(ないし「こころ」)こそが普遍的かつ自分らしさを保証するものであり、それは他の何ものにも代えがたいという前提があったんです。

だからこそこれまで(前半星座)は「わたし」は決して揺らぐべきものではなく、「それ」としての他者の胸の内はほとんど分かりませんでしたが、別に耳を貸さずともそれでよかった。しかも多くの場合、他者からの要請を受けた際には「結局、他人のことはわからない(好きなようにしたらいいよ)」などと開き直ることによって、一見他者を認めているかのようなポーズをとることとなり、その実ますます「わたし」は孤立化を深めていたんです。ところが、生きているとどうしても、「わたしこそが唯一何ものにも代えがたい」という前提が崩れてしまう瞬間が出てきてしまう。先の妊娠もその一つですし、あるいは、これまで「それ」でしかなかったはずの誰かが死んでしまったときもそう。言いようのない虚しさの中で、自分ではないもののかけがえのなさを思い知らされ、当の「わたし」を見失ってしまう。

つまり、数々の「わたし―それ」の関係性の中には、本当はかけがえのない「あなた」としてその人を支えに生きているにも関わらず、「わたし」がそのとおりに見なすことができないというケースが少なからずまぎれているということ。そして、そうした矛盾を事後的にただ思い知らされるのではなく、それはいかにして整えることができるのか?と積極的に問うていくことで初めて、天秤座は他者のかけがえのなさを取り戻しつつそのまなざしの中に捉えていくことができるんです(こういうところは思いきって舵をきる活動宮らしいですね)。これは逆に言えば、私たちの日常生活に必ずついてまわってしまう「(他者の)かけがえのなさを隠蔽するもの」を見抜き、それを祓うことこそが、天秤座の示しえる成熟とイコールであるということでもあります。

では天秤座の中にあって、他者を隠蔽するものとは何か。それは、何よりもまず、自らの内に潜む他者をコントロールしようとする操作的な態度でしょう。天秤座というのは、ふつう思われている以上に挑発的な星座であり、駆け引きに敏感なところがあるのですが、一口に「操作」と言っても、相手の抱えている問題に積極的に介入し、その問題を解決することで満足するといった補佐的な態度から、相手との適切な距離がとれずいつも他人のことばかり気にかけているといった依存的な態度まで実に多様です。しかしそれでもその根底にあるのは、他者を操作しようとしているとき人はその相手をそのまま受け入れる余裕をもっていないという事実です。そこには目的のための手段だけがあり、手放しの祝福がありません。また、何の役に立つのか?という問いかけはあっても、一見無用に見えるものの存在を肯定する眼差しの柔らかさがないんです。なぜなら、そうした余裕のなさ=排除の論理が働いているときというのは、天秤座がもっとも恐れる「無視されること」「見離されること」を回避せんとするほとんど無意識的な反応で動いているから。他者のかけがえのなさを覆い隠蔽せんとするものの正体というのは、もっとも生々しい衝動から離れているはずの天秤座の抱える、こうした暗い感情だったんですね。

人は誰かに「しっかり見守られている」と感じるときに初めて、存在的な安心感を覚え、生きようとする気持ちを確かなものにすることができます。天秤座が身のうちに抱える暗い感情を祓うには、やはり対向の牡羊座=赤ちゃんが体現しているような「生きるということは根本的に機能(価値とか意味)といったものとは無縁の営みである」という事実を受け入れる他ありません。そして強がらず、「わたしは自分を無条件に受け入れてくれる相手を求めている」ということを認めたとき、かけがえのない「あなた」に対し、はっきりと「あなたなしには生きていけない」と呼びかけることができるはず。これが天秤座の行いうる最大の贈与なんです。

 

われとなんじはともに踊る

「わたしにとってなんじとなる人は、ともに境を接する他人を持たず、彼や彼女とすべてのつながりを断ち切って、自己のうちに全体を宿すことのできるものである。このような人こそ、まさになんじであり、大いなる天と地に満ち溢れた存在者である。しかし、こう言ってもそれは、なんじ以外のなにものも存在しないということではない。いや、なんじ以外のすべてのものはなんじの光においてこそ、生きるのである。」(ブーバー『孤独と愛』)

「あなたなしには生きていけない」他者とは、人生の始めにおいてまず母親のことでした。そして母親の手元から巣立ち、自由に動き回れるようになるにつれ、私たちはその事実を忘れ、「誰にも頼らずひとりで生きていける」ことこそが、生きて延びていく上で目指すべき「わたし」の在り方だと思うようになっていきます。確かに、経済合理性の観点でいえば、そうかも知れません。しかし、かけがえのない他者への先の言明は、決して「わたし」の落ち度や無能さを示すものではありません。それはむしろ、「あなたがいてくれるからわたしは明日も生きることができる」「だからあなたもお元気で」という祝福の祝詞(メタメッセージ)なんです。

自らの周りに、そのような言葉をかける他者を見出し、あるいは産み育て、眼差しを送りあえる人は幸せではないでしょうか。まるで互いを「まれびと」のように歓待しあいつつ、天秤座は手に手をとって、あなたというあなたとともに踊り、踊りを共有することによって、わたしとわたしの間に橋を架ける。そうした天秤座の行いや姿は、おそらく孤独のうちに疎外されてある人にとって、自らに光を当ててくれる光源であり、明かりを灯す祭司とさえ映るはず。

そして考えてみれば、人称としての「あなた」という言葉にはどこか不思議な響きがあります。もちろん、使われ方にもよりますが、「おまえ」や「きさま」は当然としても「きみ」ともどこか異なる、敬意の気配が漂っているように思うんです。それから、ブーバーが言及する「なんじ」という言葉もまた特別な言葉です。古語ですから、ふだん使われることはありませんが、だからと言って、日常身近なところに「なんじ」がいない訳でもなく、むしろ辺りに満ちているようにも感じる。

おそらく、こうした「なんじ」とは、「あなた」といっている時に前提としているすべてを個人として捉える人称性さえも超えた、いのち本来の姿を他者として見ている際に用いられる言葉なのでしょう。つまり、「なんじ」が宿しているのは、赤ちゃんが子宮の中で胎児だったときに経験した、生命進化の過程まで射程におさめた大自然であり、「わたし」たる天秤座はただただそんな大自然から流れくるいのちを受け継ぎ、その営みがスムーズに、滞りなく未来へと進んでいくようコースを整え、適切な形で活けていく。天秤座の経験する「われとなんじ」の踊りとは、そうやって溢れるような豊かさをもたらしつつ、つねに私たちとともにあるのかも知れません。

 

天秤座のKeyword:
12星座一したたかな星座
もっとも本能からかけ離れた精神的な星座
初めて「他者を見つける」=「わたしが消える」星座
意図的かつ戦略的に「生き延びること」を意識している

妊婦、祝福の祝詞(メタメッセージをあげる祭司
それまでの「わたし」が通用しなくなる、眠りからの目覚め
天性のプロデューサーでありインキュベーター

他者存在のかけがえのなさを隠蔽するもの
「無視されること」「見離されること」への恐怖
他人を操作し、コントロールしようとする癖

「わたし―それ」 :価値と意味に基づく、相対的な関係
「わたし―あなた」:かけがえのない、相互浸潤的な関係
「わたし―なんじ」:いのちを受け継ぐ、豊かさをもたらす関係

 

 

sugerSugar(シュガー)
1983年7月31日生。慶應義塾大学哲学科卒業後、ベンチャー企業の営業職を経て、より多くの人に占星術の面白さを伝えるべく、占い師の道へ。現在、対面鑑定・講座・執筆などを中心に活動中。男性占い師ユニットNOT FOR SALEメンバー。

 

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