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星*花メッセージ

こちらのコーナーでは 毎月の星の動き・星座のコラム、エンジェルメッセージをUPしてまいります。

星の動き・星座のコラムは 男性占い師ユニットNOT FOR SALEメンバーのSugarさんに、エンジェルメッセージはドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピー・プラクティショナーⓇのMomokoさんに毎月更新していただく予定です。 お楽しみに!

 

【星の見晴らし 本当はコワい金星!今年最重要の星と上手に付き合う方法とは?】〔その2〕

NOT FOR SALE Sugar

 

☆怖いしめんどくさい金星と上手に付き合うには?

金星は伝統的にギリシャ神話における美の女神アフロディーテ(ローマ神話のヴィーナス)として表象されてきましたが、占星術のルーツになった古代バビロニアでは、金星はイシュタル(=イナンナ)という女神でした。彼女は愛を司るだけでなく、災厄をもたらす荒ぶる神でもあったんですが、それがいつの間か「愛」の側面だけにスポットが当たるようになり、次第にそのイメージが精神化されていったんです。

こうした経緯の意味するところは、「恋愛=素晴らしいもの」「愛し愛される=いいこと」という無条件の価値判断に対する警告でもあるといえます。イシュタルは特定の夫を持たず、多くの愛人がいましたが、彼女に見初められ愛人に選ばれた男達の多くは不遇の死を遂げていますし、ギルガメッシュのようにその誘惑を断れば、呪いと制裁が差し向けられました。イシュタルというのは、悠然とした大地母神というより、こうした周囲を振り回す激しい性格の持ち主だったんです。

こうした性質は、うすめられた形とはいえ、しっかりアフロディテーにも受け継がれました。アフロディテーはゼウスの命でヘーパイストスという不具の醜い神を夫に迎えましたが、やはり多くの愛人を作り、中でも最も有名な軍神アレスとの間には3人の子供がうまれました。そのうち娘はハルモニアという調和の女神でしたが、双子の息子はポボスとデイモス、つまり恐怖と恐慌という意味の名前をもつ子だったんです。金星というのは、決してお上品なだけではないんですね。

言い換えれば、金星は人を官能に没頭させると同時に、鉤爪でひっかける(“hooked”は夢中になるの意)側面をもっているとも言えます。現実的には、そうした官能は理性を曇らせ、しばしば狂気のなかで平穏な日常や自我を破るよう仕向けるでしょう。つまり、「恋をする/される」というのは、本来それはそれはおっかないことですし、複数の鉤が投げかけられる「モテる」状態というのは、とてもめんどくさい状態でもあるんです。

そういう意味では、恋愛や人と人との結びつきに、いたずらに金星のいい面だけを求める人というのは、じつは金星の鬼子である双子の「ポボスとデイモス(恐怖と恐慌)」に支配されている人だとも言えるでしょう。そういう人の金星的な結びつきというのは、やはり何かへの“恐れ”の裏返しとしての「愛され」であり「モテ」であり承認であり依存なんです。が、そこには未来はない。ひたすら過去の犠牲でしかありませんし、何よりも金星に不当な待遇を与える冒涜行為と言えるでしょう。

では金星とは、そうしたイシュタル=アフロディテー的な無意識と災厄への危険な誘惑として、あくまで腫れ物に触るように扱うか、広告や雑誌の煽り文句を懸命に信じるふりをして(その実しょせん錯覚だとシラけながら)向き合う以外ないのでしょうか。金星に本来の待遇を与える、何かもっと上手い方法は?

そのヒントは、やはりヴィーナストランジットから金星食へという流れにあるのではないかと思います。
ルネッサンスの神秘思想家であり占星術家でもあったマルシリオ・フィチーノは、「もし金星に完全に身を捧げれば、太陽を受け入れることは困難になる。だが、太陽ばかり気にかけていれば、金星と調和することはできない。」(トマス・ムーア『内なる惑星』p228)と述べていますが、これは逆に言えば、太陽を受けれた際に乾燥してしまう金星の潤い(エロス)が何らかの形で補われれば、自立と創造のシンボルである太陽を損なうことなく、金星を活かすことができると解釈することができます。

つまり先に順を追って取り上げた「金星に太陽の熱風を吹き込んだ上で、月の潤いに浸し、再びすくいあげる」という作法の中に、金星から「毒」を抜き、逆に妙薬媚薬として、金星の淫らさや狂気を調和的に取り入れるひな型が示されているのではないか、ということです。

金星(依存的恋愛、代償行為、肉体的快楽)をただ追い求めるのではなく、必ず太陽(心の底からの喜び、遊び、自信)を優先し、そこにぶつけていくこと。その上で、月(弱さ、普通さ、個人的な欲求、ありのままの自分)を受け入れ、再び他者とつながろうと試みること。そして何より、それを他人任せにするのではなく、自らの意志のもと自ら手を動かして行っていくこと。

こうした、いわば「金星をめぐるDIY」の試行錯誤や、その際に生じる、度重なる失敗の積み重ねの向うにはじめて、「スピリチュアルなものへの関心の高まり」や「時代精神の変容」というものの実感が、各自の中で少しずつ確かになってくるのではないか。そんなふうに感じています。