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星*花メッセージ

こちらのコーナーでは 毎月の星の動き・星座のコラム、エンジェルメッセージをUPしてまいります。

星の動き・星座のコラムは 男性占い師ユニットNOT FOR SALEメンバーのSugarさんに、エンジェルメッセージはドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピー・プラクティショナーⓇのMomokoさんに毎月更新していただく予定です。 お楽しみに!

 

【星の見晴らし 冥王星・天王星を通して見る60年代といま今後・2】〔その2〕

NOT FOR SALE Sugar

 

☆学生運動

1960年の安保闘争、1968-1970年の全共闘運動・大学紛争と、60年代は間違いなく日本史上において空前の規模の反政府運動(天王星)が展開された時期と言えます。そして当時その中心をにない、先頭に立っていったのは学生たちでした。こうしたスチューデント・パワーと呼ばれる現象は、日本だけでなく、60年代末の世界においていたるところで起こっていたんですが、実は「なぜ“学生”運動だったのか?」という点に関しては、当時、冥王星と天王星が重なっていたのが乙女座のちょうど真ん中あたりだったということにも表れているんです。

乙女座は知性と学びの星である水星の守護する二つの星座(もう一つは双子座)のうち、与えられた役割に徹するという、より受動性が強調される性質をもつ一方で、最も痛烈な批判精神を備えた、ある意味理想のスチューデントの姿を体現する星座。また、乙女座のマークのモチーフは、神々の中で最後まで地上に留まって人類に正義を訴え続けたものの、ついに欲望に突き動かされた殺戮によって血に染まった人間の堕落に失望し、どこかへ去ってしまった正義の女神アストレイヤだと言われています。

当時の学生というのは、今と比べ「エリート」の色合いが強く、また戦後から十数年の時が経ち、直接戦争を体験していない初期世代でした。アメリカとソ連という世界の2大大国のどちらに日本がつくのか、という国家の行く末を決定する重要な契機の中、強権を発動してアメリカにつくことをほとんど一方的に決定した政府に対して、自分たちこそが社会を引っ張っていくんだという使命感のもと、「学徒出陣」を決行しようという流れが出来ていたんですね。

さらに、乙女座の真ん中あたりというのは、意識によりコントロールのなかで抑えてきた「無意識の噴出」を促す地帯でもありますから、時代が抱えていた抑圧感やそこでたまっていた無意識的な熱狂を、学生運動という舞台が吸い上げ、はけ口となっていったところもあるでしょう。ある意味、それは乙女座的なお行儀のよさへの反動であり、親のいいつけをよく守っていた子がビッチ化したのだとも言えます。結果的に、それは鉄パイプや火炎瓶などによる荒々しい暴力や、内部での粛清を伴う恐怖政治(冥王星)によって自壊していった面がありました。ここでもやはり天王星が冥王星にのまれてしまい、そうしてアスレイヤは去っていった訳です。

では、前回から約50年がたち、再び不可逆的な変容や権力による支配を象徴する冥王星と、革命とラディカルな逸脱原理を象徴する天王星が天上で邂逅しはじめた今の社会において、舞台上に上がってくるかつての“学生”とは一体誰なのでしょう?あるいは、舞台にあがるというのは何を意味しているのでしょう?

ある意味、先行する世代や時代の要求に「応える」(乙女座)形で“反政府”運動を展開していった60年代に対し、いま天王星のある牡羊座は、12星座の一番最初の星座であり、まったく前例のないところへ「飛び出す」ことを促すという配置をとっています。それは反政府ではなく“脱政府”運動であり、その意味で「舞台にあがる」とは自分なりの「フロンティアを見出す」ということと重なってきます。加えて、冥王星は山羊座にありますから、天王星的な挑戦の対象は、山羊座の意味する「ローカルな社会」「自分の国づくり」を復活(冥王星)させんとする中で、冥王星のネガティブな意味にのまれることなく、古くくたびれた構造を一掃していくことができるはず。

数万年の人間の歴史を見ていくと、いつの時代の、どの地域でも、盛んか否かの程度の差こそあれ、いつも誰かしらが踊ってきました。そうやって意識的なコントロールによって硬直した身体から力を抜き、気持ちよさを味わって、生を豊かにしてきたんです。ところが、70年代以降の日本人は“見せる”ための「ダンス」はしても、なかなか先の意味での「踊り」を踊ろうとしなくなっていきました。むしろ「普通の人は踊らない」「踊るのは恥ずかしい」という感覚のほうが一般的になったと言っても過言ではない。逆に言えば、すっかり忘れてしまった踊りを最も必要とする人たちこそが、かつての“学生”の代わりを担っていくということなのかも知れません。いずれにせよ、日本人は今になってようやく、「踊る」という身体所作を再び取り戻すべき時期を迎えているのだと思います。

そしてそれは、誰ともなく指示された場所に大人しく黙って座り、目の前の光景が過ぎ去っていくのをただ見ているという生き方から、指示を疑い、自分の頭で情報を精査した上、強張った身体を踊りの中で解きほぐし、自分なりの舞台や場を自分の手でつくり、本当の意味での自治権(冥王星)を取り戻していくという生き方へのシフトチェンジを迫られているとも言えるでしょう。

 

 

以上、先月から今月にかけて60年代の冥王星・天王星を象徴する「産業公害」「インフラ整備」「戦争」「学生運動」という4つのキーワードを挙げてきましたが、どれもそれぞれ違う事柄でありつつ、よくよく見ていけば同じような構図に収斂していくということがお分かりいただけたかと思います。

占星術は物事の生起をパターン化していく営みですが、そういう点から見ると、特に集団レベルになった時、人間のすることというのはそれほどにはバリエーションはありません。過去に目を向け、それを自分の頭や行動という鏡を通して、未来に投射しなおしていくことができれば、ものを見るための視界というのも、少なからず開けてくるはず。その意味で、やはり「今」この双子座木星期に、「遊ぶ子供のような自由奔放な身体性」ということがテーマとなってきそうだというのは、つくづく符号的だと感じます。