星の見晴らし

 

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星の見晴らし

こちらのコーナーでは 毎月の星の動き・星座のコラム、エンジェルメッセージをUPしてまいります。

星の動き・星座のコラムは 男性占い師ユニットNOT FOR SALEメンバーのSugarさんに、エンジェルメッセージはドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピー・プラクティショナーⓇのMomokoさんに毎月更新していただく予定です。 お楽しみに!

 

今月は先月に引き続き、1960年代の時代状況と2010年代半ばの今を、冥王星・天王星を通して重ねあわせつつ、今後を占っていければと思います。


冥王星と天王星が地球を中心に直角に交わる配置(スクエア)をとりはじめ、いよいよカーディナルクライマックスも本番を迎えた今。直近の日本の歴史を振り返っていく中で、もっとも似た配置(冥王星と天王星の合 0度)をもつのが60年代でした。 前回の記事では、その60年代を象徴する4つのキーワードのうち、「産業公害」「インフラ整備」まで言及しました。今回の記事では残りの「戦争」「学生運動」の2つについて取りあげていきます。

【星の見晴らし 冥王星・天王星を通して見る60年代といま今後・2】〔その1〕

NOT FOR SALE Sugar

前回の続きです。

戦争

64年の北ベトナム爆撃により、アメリカがベトナム戦争(1960-75)の戦線を一気に拡大していき、66年には中国で文化大革命がはじまっていった60年代後半は、日本にとって最重要外交国と言える米中二国が、まさに後戻りできない不可逆的な変容(冥王星)に足を踏み入れていった時代でした。その中で、日本および日本人はそれらの変容に、いかに対応し、どう認識していたのか、つまり情報リテラシー(天王星)がここでのポイントです。

たとえば文化大革命は、革命(天王星)と名は付いているものの、実際には何らかの資本や知識、伝統を保有していた者はすべからく反動分子とみなされ、毛沢東の思想に染まった労働者や農民・兵士などから一方的に“狩られ”、弾圧される大量虐殺(冥王星)でした。約10年にわたり続いたこの恐怖の革命によって、数多くの文化的遺産や、その価値を担う知識階層および有望な人材が“根こそぎ”絶やされ、その影響で中国の近代化は30年遅れたといわれています。

ところが、当時の日本では、新聞やテレビをはじめ、大学教授や文化人、学生らの大半が左翼思想に偏っていたため、中国当局の発表はそのまま鵜呑みにされ、文革の大虐殺(冥王星)は“解放(天王星)”と呼ばれ、各メディアで大絶賛されていました。これは明らかな言論統制(冥王星)の結果であり、集団的な催眠状態とも言えるものでした。結局、文革が終了しその実態が明るみに出るにつれ、マスコミ(特に朝日新聞)は大変な非難の対象となりましたが、それは既に70年代も後半に入ってから。逆にそれまで唯一、明確に文革を“虐殺行為”として非難したのは、67年に三島由紀夫・川端康成・石川淳・安部公房ら4名の作家が連名で発表した抗議声明だけでした。真実を見抜いた上、それをはっきり公の場で言うことができた日本人は、当時それほどまでに限られていた訳です。

また、ベトナム戦争に際し、アメリカ側が最初の爆撃のきっかけとしていた、パトロール中の米駆逐艦に北ベトナム哨戒艇が攻撃を加えたというトンキン湾事件は、後にニューヨークタイムズ紙の突撃取材によって、実はアメリカの方から仕組んだものだったと暴露されています。当時日本はアメリカ軍にとって重要な後方基地であった沖縄を提供し、またベトナム戦争の特需で高度経済成長を果たした一方、その罪悪感も働いてか、反戦運動も盛んに行われました。まさに冥王星(巨額の利権)と天王星(異議申し立て)が矛盾を孕みつつも混在していたんですね。

ただここで問わなければならないのは、ベトナムははたして本当にアメリカの帝国主義(冥王星)の被害者だったのか?ということ。ベトナムは「エキゾチックだけれど、アメリカという大国に悲惨な戦争の標的とされた可哀相な小国」であり、民族解放闘争(天王星)=善玉、アメリカ帝国主義=悪玉なのでしょうか。もしそうであれば、解放軍に解放されたベトナム南部から、数十万の人が脱出して難民となっていったことや、アメリカの侵略を撃退したはずのベトナム人民軍が、その後同じ社会主義の隣国カンボジアに侵攻したことをどう捉えればいいのか。

こうした海外の状況や構図に対し、当時多くの日本人の示したのは、一部の例外をのぞき、ほとんどが思考停止と呼べる反応でした。重なり合う2天体のうち、完全に天王星が冥王星に上をとられた、という形になってしまった。そこで鍵となっていたのは、やはり政治的・社会的現実の作り手としてのマスコミが、人々の想像を超えるほど大きな力を持っていたという点ではないかと思います。特に日本の場合、昔も今もテレビや新聞など大手マスコミ報道というのは驚くほど画一的で、主張の多様性がほとんどありません。60年代のように冥王星と天王星が重なるのではなく、両者が互いを否定しあうくらいの激しさでぶつかりあっている2010年代前半の日本の国民は、311後、記者クラブの弊害について嫌というほど痛感させられました。が、そうした現在の日本においてさえ、60年代と同じことは起こらない、とはとても言えないでしょう。

現に、例えば2011年のリビア内戦へのNATO軍の介入を、日本のメディアは「暴力的な独裁者(冥王星)であるカダフィ大佐から民を“解放”する救世主としてのNATO軍」という構図で一様に伝えましたが、これはBBCやCBC、アルジャジーラなど西側のメディアの報道を鵜呑みにして伝えていただけでした。ではリビアは本当に「国民の犠牲の上に立つ専制君主国家」だったのか?

調べていくと、NATO軍に攻撃される前のリビアは、ブラジルやロシアより高い生活基準をもち、識字率は90%以上、女性も尊重され、国民の誰もが教育や福祉などの質の高いサービスをほぼ無料で受けられるのに、税金はゼロという珍しい国家であり、またそれを支える財源として、アフリカ最大の石油埋蔵量を保有する豊かな資源国でもありました。そしてカダフィは全く問題がなかった訳ではないとは言え、42年間の政権運営によって、リビアをそうした高学歴・高福祉の国へと導いてきたという実績をもつ、国民に慕われた指導者であり、少なくとも反政府軍を無差別爆撃するような暴君ではありませんでした。つまり日本での報道内容もまた、意図的に「情報操作を加えられた現実」だったわけです。

暴力的な独裁者というならば、むしろそうした世界で起きている実態の在り様とそれを知る術を人々から奪った上で、NATO関連国の背後で自らの利益を追求していった権力(冥王星)の方こそ、そう呼ばれるべきでしょう。同時に、そうした支配構造を無自覚的に成立させてしまっている統制される側の人々の思考停止もまた、暴君&独裁の発生源であると言えます。見えない支配に取り込まれると、人は「そんなこと、お前が考えたってしょうがないじゃないか」と他人に、自分に発語しながら、次第に「本当は考える価値のない問題」についてばかり考えるようになります。日本人であれば、ここ1年で弱のあいだに、同じような光景を何度も目にしてきたことと思います。

そうした場面に直面したとき、多くの人が、自分が無意識的に取り込まれている状況に対し、雷鳴のように走る違和感や疑問符(天王星)にきちんと水を向け、自分の頭で考え始めるのでなければ、権力側は情報操作のレベルをどんどん上げていくでしょう。そして一度違和感をスルーすることに慣れてしまえば、人は容易に空気、あるいは幽霊となりえます。そこにいるのに、いないも同然の存在に仕向けられてしまう。そうやって、社会の中でじわじわと伝染し、広がっていく思考停止は、放射能と同じ「目に見えない毒(冥王星)」であり、それに対抗していくこともまた、戦争なんです。

このように、冥王星と天王星に象徴される、「現実」をめぐる食うか食われるかの目に見えないせめぎ合いは、必ず情報をめぐる「メディア戦争」の様相を呈してきます。日本人は、そのことを60年代の経験をもう一度思い出し、今度こそ「思考停止」という過去から脱却する必要があるのかもしれません。