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星*花メッセージ

こちらのコーナーでは 毎月の星の動き・星座のコラム、エンジェルメッセージをUPしてまいります。

星の動き・星座のコラムは 男性占い師ユニットNOT FOR SALEメンバーのSugarさんに、エンジェルメッセージはドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピー・プラクティショナーⓇのMomokoさんに毎月更新していただく予定です。 お楽しみに!

 

【星の見晴らし 賭けごとと木星と平清盛】〔その2〕

NOT FOR SALE Sugar

 

飛び込んでいくことと自己を信頼するということ

さて、前置きが長くなってしまいましたが、幸運(≒木星)についてでした。

なぜこんな話をしたかと言うと、じつは「賭けごと」こそ木星の本質をよく表しているからです。先に述べたように、賭けごとという視点から見ると、世界はとたんに偶然性が支配し、戯れとしての生や自己の脆弱さが過剰に強調されてしまいます。これは心理的な意味では、木星のネガティブな側面である逸脱や怠惰、無責任を引き起こす引き金でもあります。幸運と対置される不運とは、そうした内面における木星のネガティブな側面に伴う事後的な結果と言えるかも知れません。

ただ、上記のようにただ世界の偶然性を嘆くという態度というのは、相変わらず実体のない「自己責任」を口にし、社会の内側にある必然性のみに目を向けたまま、あくまで偶然性を「外側」にあるものとして捉えていればこそ生まれてくるものです。逆に言えば、世界や人生が偶然性に満ちていることを積極的に認め、社会(here)からセカイ(there)へと向きを変え、想定された文脈内から偶然性へと自発的に「飛び込んでいく」とき、木星はポジティブな働きとして、未知の要素が織り込まれた自分への肯定感や、楽観をともなう自己信頼を呼び覚ましてくれます。

そうして、自分が何者であるのか、という信頼に満ちた認識や、それを成り立たせている社会的な諸要素への更新が行われる。それはゼウスがさまざまな人間の女と交わることで、人の子や住む彼らが住む世界に神性を宿していく、あるいは女たちがそうした交合へと身を委ねていくイメージと重ねることもできるでしょう。

つまり富の獲得や成功など、一般的な意味での幸運とは、あくまで「世界は偶然(無限)である」ということを、社会の側の尺度で解釈し最後に貼り付けられたラベルに過ぎません。むしろ、想定範囲内・予定調和的成り行きからの跳躍や、意図的なセカイ(there)の闖入こそが、本質的な意味での幸運なんです。「未知との遭遇」ですね。そして、それを呼び込むためには必ず「賭ける」「跳ぶ」といった遊びのある所作が不可欠であるということ。そういう意味では、自己責任というのは自己信頼と反対にそうした幸運を呼び込むための内面的な所作を萎縮させてしまいますし、賭けも跳びもしないならば、せっかくの幸運期もかたなしになってしまう訳ですね。

 

ヘルメスと平清盛の共通点

今回、その木星が双子座に入りました。双子座についてはこちらの記事(http://www.asteridea.info/04_message/zodiac/04_message_zodiac1205.html )でも書きましたが、
やはりまず「遊び」がキーワードになってきます。一見堅牢に見える社会や他者の側の予定調和的な防衛反応の隙間をスルリとかいくぐり、すり抜けていっては戯れる。そんなアクションにこそ自己信頼の鍵を見つけることができるはず。それはどこか、翼のついた魔法のサンダルを履き、空を飛ぶこともできた水星(双子座の守護星)の神・ヘルメースを思わせます。むろん、ヘルメースはただ闇雲にあちこちをふらふらしていた訳ではなく、こちらとあちらという異なる領域の行き来をスムーズにするため、モノの単位(度量衡)を定め、言語(アルファベット)を発明した、旅と商売の神でもありました。

こうしたヘルメースの活躍と同様に、双子座木星期のモデルとなるのは、ちょうど今年のNHK大河ドラマでも取り上げられている平清盛です。実は、このNHK大河というのは、どういう訳かその年々の木星のテーマと対応している部分が少なからずあるんですが、ドラマの公式HPなど見ると平清盛は「交易こそがこの国の豊かになる道だと人々に説いた男」という紹介をされています。

東の鎌倉幕府が土地に根付いた「不動産」重視の閉塞的な社会だったのに対し、西の平氏政権は交易による「動産=物品」重視の開放的な流通社会でした。実際、清盛は瀬戸内海を整備し、船舶が安全に航行できるようにしただけでなく、中国大陸や朝鮮半島など東アジア諸国との活発な交易を進めた訳です。彼にはのちの坂本竜馬に連なるような海洋国家構想を持っていたんですね。当時は鎖国状態が300年以上続いていた平安時代の後でしたから、海洋交易に基づいた清盛のビジョンはかなり画期的なものでしたし、その先見性は驚くべきものだったと思います。

そういう意味では、この一年というのは、自らの人生や他者、環境において、これまで考えてこなかったような意外なリンクやルートを開拓・整備し、何らかの「交易」を行っていく。そんな賭けや跳躍こそが自己への信頼をもとに文化をつくり、活力を保つのに必要なイマジネーションを提供してくれることになるかも知れません。そのためにも、まるで遊ぶ子供のような自由奔放な身体性を意識におき、いつでも偶然性の海へとこぎだしていけるよう準備をしておくといいでしょう。