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こちらのコーナーでは 毎月の星の動き・星座のコラム、エンジェルメッセージをUPしてまいります。

星の動き・星座のコラムは 男性占い師ユニットNOT FOR SALEメンバーのSugarさんに、エンジェルメッセージはドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピー・プラクティショナーⓇのMomokoさんに毎月更新していただく予定です。 お楽しみに!

 

【星の見晴らし 日食の象徴的解釈】〔その2〕

NOT FOR SALE Sugar

 

アマテラスの変化と日食

そこで"個体発生は系統発生を繰返す"という生物学上の仮説をなぞる意味でも、祖先以来、日本でもっともポピュラーな日食のメタファーであろう「天の岩屋戸」の神話についても、ここで少し触れておく必要があるでしょう。

概要としては、まず命じられた海の統治をせずに荒ぶっていたスサノオが、ついに追放されることとなり、姉のアマテラスに暇乞いにいったら、天地が鳴動して災害が起こったため、姉と対立したと。そこで占いで身の潔白を証明することとなり、賭けに勝ったとみたスサノオが乱暴狼藉を働いたため、最初こそかばっていた姉のアマテラスも、とうとう岩屋(洞窟)にこもって戸を閉めてしまう。その結果、世界は闇に包まれ、さまざまな禍が起き続けるが、困ってしまった八百万の神々たちの一人が一計を案じてアメノウズメにほと踊りをさせ、それをみた神々の哄笑を起こしたことで、なんとかアマテラスを再び岩屋の外へひっぱりだすことに成功し、この世に再び光が戻ったというお話。

さて、荒ぶる神スサノオの暴虐性が強調されるこの神話ですが、アマテラスは自ら引き篭もることで世界を混沌へと導いてしまう訳で、一見スサノオにのみ属する秩序を破壊する力は、じつはアマテラス自身にも秘められているとも言えます。それはさらにアマテラスという女神が、悪事に対しても決して怒ることなく得意のポジティブシンキングで頭の中をお花畑にし続ける「宗教的人格者」としての顔だけでなく、むしろより素顔に近い一面として、荒ぶる「祟り神」としての顔や、天地を鳴動させながら暇乞いにきた弟を完全武装状態で迎えうつ「戦い行動する女シャーマン」としての顔も持ち合わせていたという視点と符号していく。

また、アマテラスが岩屋へこもったという表現が、アマテラスの死を意味し、ひいてはスサノオとの(呪術的な)戦いに敗れたことの暗示であることは確実だろうと思います。スサノオはもともと雷神であり、自然に災厄をもたらす神ですが、彼を「かばっていた」というのも、より厳密に言えば、いわゆるコトダマの力で、スサノオによって穢されたマイナスの現実をプラスのほうに転化させようという呪術だったのだと考えた方が合点がいきます。アマテラスはその結果、精根尽きて死んだ訳です。ぽっかりと暗い口をあけた洞窟は、異界への入り口であり、祭祀の場として聖別される以前は、死者を葬る場として使われてきました。この話は太陽=王の死と再生がテーマになっている訳ですが、そうであるならば、アマテラスが岩屋の奥から再び迎え出されたとき、どのような存在へと生まれ変わっているのか、あるいは以前とどこが違うのでしょうか。

確かなのは、岩屋戸を出た後のアマテラスが、自ら武装し、呪術を駆使する行動する女神であることをやめ、祭られる対象としての「聖なる鏡」となっていったということ。その後、アマテラスは世俗の支配権を子に当たる御子神に譲り、自らは決して人の目に触れることのない自然の内奥にひそんでしまいます。こういう言い方が適切なのかはわかりませんが、アマテラスは社会と世界が同一だったアニミズム的な意味での支配者であったシャーマンから、社会が複雑化し、霊的世界と分離していったあと世界で、その全体をじっと見守る「世界の王」へと霊的成長を遂げたのかも知れません。

視点を変えれば、この変化したアマテラスの存在は、国家であるとか、世俗的な権威、権力の正当性を強烈に相対化する装置とも言い換えることができます。と同時に、この世の主権の真の体現者である世界の王は、社会の周辺部や、たえず移動し続ける流れの中、いっけん虚ろに見えるなにもない場所などに潜みつつ、社会の中心で偽りの主権として君臨する為政者の支配の外側に置かれつつ、たえず社会を包摂するような形で存在し続けている、とも考えられます。

なにが"不吉"なのか?

こうした日食に重ねられるアマテラスの変容は、錬金術における"黒い太陽"の象徴する"生きながら死ぬ"体験が突き詰められた時、うつ状態がどん底に達したあとでふいに起こる転換として、現代を生きる個人の内面における変化にも繋がってきます。闇の深みにひそみ、閉塞感やうつ状態に終止符を打つものとして、天の露や雨、虹、あるいは涙などとセットで感じられる"何か"の到来。言うならば、そうした未知の在り様に自らを開くきっかけを、太陽(主体性)をめぐる死と再生のドラマという比較的わかりやすい形で示してくれているのが日食なのだとも言えます。

つまり、まず社会の中心や内部から促されたり煽られて増大してしまった欲望を、自らの意志(太陽)と錯覚し続けることで、終わりなき日常のなか閉塞感をつのらせていくという生き方のモデルがあるとして。そうした生き方や視点が固定的な人・国・状況であればあるほど、日食的ドラマが展開されたとき、その死角を増幅していく(させられていく)プロセスのなかで、これまで埋葬され、隠されてきた真の主権のあり様や、賦活してくる自らの意志というものが霧が晴れたようにはっきり見えてくるのかも知れません。

不吉なものを避ける、という行動指針が正しいとして、では何をもって"不吉"と見なすのかを考えるとき、偽りの意思やマインドを抱き、生気の欠けた世界の在り様を続行させ続けることを不吉とするのか、あるいは、いかにも不気味でなんだかよく分からないものをとにかく体験しないことが不吉なのか。自分の内面や置かれている状況と照らして、よくよく考えてみるといいでしょう。

今回の日食は、日本の首都圏で見られるじつに173年ぶりとなる金環日食ですから、占星術的には、その影響はどこよりも日本、そしてそこに住んでいる人に起こるということになります。プトレマイオスによれば、影響が持続する期間は、欠け始めから光が戻るまでの時間が目安となるそう。太陽の場合は、1時間で1年だそうなので、今回は約2時間40分=2年8ヵ月つづくと。また、東の地平線付近で食が見られる場合、その影響は、日食直後から4ヶ月の間に現れてくるのだそうです。ちょっとややこしいですが、整理すると、2012年の5末~9末に影響が出始め、それが2015年の5末まで何らかの形で持続する、ということですね。

日食に続いて太陽と90度の角度をとる海王星は、神秘的ビジョンや未知の要素を表しますが、今年2月より本来の座である魚座へ約165年ぶりに戻ってきて強められており、この配置は母胎回帰的な救済やこころのスキマ補完への破壊的なまでに強い渇望として解釈できますから、ある意味で、日食直後から、「世界の王」の本来かそけき気配や声が濃密な存在感と響きをもって、感じとれるかも知れません。

さらに6月6月のヴィーナストランジット(金星の日面通過)も、錬金術的なプロセスで考えても、神話的に捉えても、今回の日食とセットになっているので、注目ですね(詳細はここでは割愛します)。
そうしたものに、耳を閉ざし無視を決め込んでしまうのか、いくら頭では「日食なんて」と考えていても、何かの胎動を感じざるを得ない自分を発見するのか、ぜひ自分の身をもって体験していただければと思います。

 

 

sugerSugar(シュガー)
1983年7月31日生。慶應義塾大学哲学科卒業後、ベンチャー企業の営業職を経て、より多くの人に占星術の面白さを伝えるべく、占い師の道へ。現在、対面鑑定・講座・執筆などを中心に活動中。男性占い師ユニットNOT FOR SALEメンバー。

 

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