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しおひめの「和文化おもてなし」~人と文化がつながる時間~

 

第四回目「想い出の駄菓子」

 

 今回は菓子をテーマに取り上げてみました。旧暦の六月十六日に十六個の菓子や餅を供えて食べる疫病を祓う「嘉祥食」いという行事がありました。現在は「嘉祥の日」「和菓子の日」として行事やお祭りが行われています。

 小さな頃の思い出を辿ると、最初に思い浮かぶ菓子が郷土の伝統駄菓子「からから煎餅」です。三角の形をした小麦色の煎餅菓子です。煎餅の中に民芸品やおもちゃが一つ入っています。山形県庄内地方に伝わる伝統駄菓子です。からから煎餅の歴史を辿ると江戸時代まで遡ると伝えられています。時代と共に煎餅の中の物が民芸品からおもちゃに変わっていきました。現在、このからから煎餅は「民芸品」と「おもちゃ」二つのタイプの駄菓子として今に伝えられています。小さな頃、煎餅を振っては「何が入っているんだろう」とドキドキしながら、中に入ったものをカラカラと鳴らしていました。家族と一緒にこたつの中で食べていた駄菓子です。こたつのミカンと一緒に我が家にはいつもからから煎餅がありました。今でも地元の土産屋さんでからから煎餅を見かけると、小さな頃の記憶が蘇ります。今月は菓子のお祭り。久しぶりに、からから煎餅が食べたくなって、早速、お土産屋さんに八個入りのからから煎餅を買いに行きました。買ったのは「民芸品」の入ったからから煎餅です。ほんのりと黒砂糖の香りがする煎餅をパリパリと食べていくと白い小さな包みが残ります。懐かしさで胸をいっぱいにしながら紙包みを開いていくと、手のひらサイズの独楽が出てきました。小さくてもよく回る独楽でした。嬉しくなって、あっという間に五つも食べてしましました。懐かしの民芸品との再会です。

山形の伝統駄菓子「からから煎餅」 煎餅の中に入っている民芸品

山形の伝統駄菓子「からから煎餅」

煎餅の中に入っている民芸品

 

 からから煎餅の民芸品を並べてみました。右側から、鞠・風車・独楽・白蛇・ノート。偶然なのかもしれませんが、民芸品の色に四季の色が添えられていました。鞠の緑色のラインの春、水色と赤やピンクの風車には、季節が春から夏へ移りゆく姿の夏、赤と黄色の独楽には、夏から秋へ季節を繋ぐ土用の色の黄。白い蛇の白は秋の色。紫色を基調にしたノートは冬を表す色がそれぞれの民芸品にありました。懐かしさから手に取った民芸品の一つひとつにも、日本の四季が文化と共に受け継がれていることを感じました。

  皆さんの小さな頃は、どんな駄菓子がありましたか?

 私が生まれた昭和40年代は、近所にまだ駄菓子屋さんがありました。塾通いが盛んになる前の時代でした。小学校の高学年になると、友人たちが塾に通い始めた頃です。

 駄菓子屋さんに通っていたのは小学生の低学年まででした。学から帰るとランドセルを置いて、30円を片手に近所の駄菓子屋さんに行っていました。行くと、おばちゃんに「すもも、ちょうだい!」といってカップ入りのすももを買って食べていました。おばちゃんの店には、駄菓子だけではなく、くじを引いておもちゃを当てる当てものが並んでいました。他の学校の子どもや学年の異なる子も集まる駄菓子屋は、当時、子供たちの社交場でした。大好きな駄菓子屋に通うお金を得るために、おふろ掃除・犬の世話・肩たたき等、家の手伝いして10円・20円・30円と、その日によって代金をもらっていました。もちろん日給でした。親も私が駄菓子屋に行くために手伝っていることを知っていたので、たくさんお手伝いした日は、いつもの代金にプラス100円のボーナスをつけてくれました。そのお金で、サイコロキャラメル、カップのすもも、ソースせんべい、ふがし、フーセンガム、色つきのセロハンに入ったラムネ等を日替わりで買いに行っていました。

 特に想い出の駄菓子に「ココアシガレット」があります。本物の煙草のように、当時は棒状のココアの菓子が紙で包まれていました。大人に背伸びしたい氣持ちを叶えてくれる駄菓子でした。私はよく親の前で、ココアシガレットを片手に煙草を吸う真似をしていました。私の姿を見て親は笑っていました。マルカワのフーセンガムも思い出深い駄菓子です。お手代いしたお金が少しずつ溜まって来ると、当てものを買うようになりました。一回20円・30円の当てものが多かったです。欲しくてやっとで当てたルービックキューブ。何度色を合わせても、出来たことは一度もありませんでした。ヒーローガード、風船、シャボン玉の当てものを楽しんだ後に、はまった当てものがありました。鈴となめ猫です。鈴は、10回程くじを引いてやっと、野球ボールの大きさ位ある特大サイズの鈴が当たりました。実際ランドセルにつけてみると、大きすぎて可愛くなく落ち込みました。なめ猫は、氣がつくと鉛筆・消しゴム・筆入れ・ノート・下敷き、学校の文具一式が、なめ猫グッズになっていました。親はあきれていましたが、当時子どもだった私にとって駄菓子屋は、夢のあるところでした。駄菓子を通して友達が出来て、学年・年齢を超えて駄菓子を楽しめる共有の場でもありました。小さな頃に手にする駄菓子には、その時の記憶が残ります。菓子のパッケージ、味や香りに時間が刻まれていきます。

 大人になって手にする駄菓子。あの頃も想い出と共に、今度は、お子さんと一緒に駄菓子を楽しむのも良いと思います。駄菓子は、小さな頃の自分と今を繋いでくれる菓子です。

想い出の駄菓子

 

 

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塩田 紀久代 (しおひめ)


*和文化おもてなし研究所 代表
*伝統文化むすび使・和文化おもてなしコーディネーター

 

1974年 山形県・鶴岡市出身。
幼い頃より父の影響を受けて、山村の年中行事に親しむ。
2006年 母の病気・他界を機に、約12年携わった
ショービジネスのマネージャー業からホテル・旅館業に天職する。
旅館の新規開業・再生事業を行う、おもてなし部署に所属する。
箱根・強羅温泉、静岡・修善寺温泉にて旅館業全般に携わる。
帰郷後、ホテルに入社。マネージャー職となる。
半年後には、ホテルが「ハイクラスの宿」となる。

 

和の文化を通して人と地域をむすび 社会にたくさんの笑顔をつくることを理念に
2012年10月「和文化おもてなし研究所」(商標登録)を開設。
子どもの着付け、女性のしぐさ。季節の年中行事を通して、
暮らしに生きるおもてなしの提案を行っている。
受け継がれた和の文化とおもてなしの心を未来につなぐ活動として
「見返り美人になって和のおもてなしを学ぼう」講座を開講。

 

2013年10月公開予定 映画「おしん」の制作に所作指導として映画撮影に携わる。

 

 

ホームページ http://wabunka-omotenashi.jimdo.com/

映画「おしん」公式サイト http://pr.livedoor.com/movie/oshin/